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書籍 海外に挑んだモデル ~ 第一章1

Sunday, April 17, 2016

 

 これから話すのは、23歳の時に初めてヨーロッパにモデルとして挑戦した時の事。


 当時のモデル業はまぁまぁ調子が好くて、周囲の期待を強く感じられてたかな。それが少々で鬱陶しくもあり、心地好くもあったのは本音。
 挑戦するかしないかを悩んだよ。失敗のリスクはそれなりに大きくて、正直言えば失敗するのが怖くもあったからね。ただ、当時はとても自信過剰で若くもあったから~成功する妄想の期待感が圧倒的に強かったかな。

 

 先に軽くで伝えておくけど、結果は素敵なハッピーエンドじゃない。むしろとても酷い目にあいましたよ。完全敗北とも言えるんだけど、少々で粘ってみたら、ちょっとだけ成果もあったかなって感じ。
 けれど不思議な事に、現在からそれを考えると~あの挑戦をした事は、とても好かったかなと想えるんだよね。

 

 

 複雑に色の混じる心情は難解だったけれど、現在はそれが爽やかな色に想える。

 

 

 この挑戦は1ヵ月程度の滞在期間だったんだけど、あれほど長く感じたのは少年時代以来だったし、懐かしくも感じたかな。歳を重ねるほど、明らかに時間を短く感じるようになってる気がするんだけど、そういう感覚の経験ってあるかな?楽しい時間は一瞬で、苦痛の時間は長く感じる矛盾もあるよね。
 充実した時間帯はどうかな?自分は短くも長くも感じる、不可解だな……。

 

 挑戦するには葛藤があって、様々な色を天秤にかけて決めたつもりだったのだけど、後から混ざり合って未知なる色に変化する事を知らなかったと言える。
 ただ、挑戦しないと成功も失敗も変化がないのかもしれない……。

 

 

 モデルとしてこれから海外に挑戦する!

 

 

 事の始まりは、多くの人達が生活の変化に対応し始める時期でもあり、不快な状況下と開放感が同時にやって来る時期を感じ始める頃かな。花粉もなく汗ばみもしないから、気持ちの好い風が吹いたよ。

 

 自分は時間を気にしながら、アイスを食べながらでスーツケースに荷物をまとめていた。
『ねぇ、どこでボブ君と待ち合わせてから行くの?』
 リンのテレビを観ながらの質問に対して、何度も言っただろうとの感情は伏せた。
「新宿駅」
『あれほど何度も準備しておきなって言ってあげたのに、相変わらず人の話を聞かないよね!』
 心の声が漏れたのだろうかと感じつつ、応答はしない。
『スーパーモデルは多少の遅刻が許される♪馬鹿じゃないの、ボブ君には許されませんよ!』
 リンは小馬鹿にした口調で自分のモノマネをしつつ、独りでツッコミを加えてくる、彼女の必殺オウム返し。これはそもそも自分が彼女に使っていた手法を逆手にとって彼女のものとされた。自分が冗談で放った言葉もしっかり利用してくる。自分がされてみて強く感じたけど、なかなか効果的な手法を学ばれてしまった。
『あ、オジさんだ!CM流れてるよ!車のヤツ!』
 手を止めてテレビに駆け寄り、自分の姿を確認。ちょっと恥ずかしくも誇らしくもある。
『こないだの新聞CMより、こっちのほうが好いね~』
 当時は予定外に仕事が好調で、だからこそまだモデルを続けていたし、挑戦するリスクも大きいと感じてた。

 

 リンはNYの事がキッカケで付き合い始めた同棲中の年上彼女。モデルの彼氏彼女もモデルなのかとよく質問されるけど、個人的にはむしろ逆の意味でそれは少ないと思う。彼女は当時、歌をやりながらで銀座のホステスバイトをしてたよ。

 

 自分の名前は大介。モデル名でもあるし本名。タレントとは違って、モデルは本名のままの人が多い傾向にあると思う。
 身長は186cm、髭が濃い短髪のスポーツマン体型で、かなり老け顔の23歳。見た目も中身も30歳と言われていた当時のニックネームはオジサン。一般のモデルイメージは、細身の高身長で綺麗な顔立ちが主だろうけど、実際は男臭いタイプや個性派も存在してる。

 

 マトモな事務所に移籍して、ちゃんとしたモデル業を開始したのは20歳から。初めてのオーディションは、ジャンポールゴルチェの来日ファッションショー。初めてオーディションで勝ち獲た仕事が、誰もが知っている某飲料水の年間契約で広告オール媒体と呼ばれ、モデルの仕事としてはトップクラスの部類。この広告がTVのCMや映画館に交通機関と雑誌など様々な所で目についてたから、調子乗っちゃってたかな。これが勢いとなって、初めて歩いたファッションショーは『 BENETTON 』。『 SISLEY 』『 TOMMY HILFIGER 』『 ALFRED DUNHILL 』などをメインとして、当時の『 Tokyo Collection 』2016年の現在名称は『 Tokyo Fashion Week 』ってのも経験した。とりあえずこの3年間でほとんどのジャンルのモデル仕事は経験して、21歳の時にはNYにも行ってみてたかな。

 

 現在だから解るけど、トントン拍子の単なるラッキーだったよ。仕事の数は多くないけれど、所属事務所に自分のギャラ単価は他モデルよりも高く設定されてた。当時は年に3本くらいのCM仕事を獲る感じで好調だったからこそ、海外挑戦を日本の事務所に相談した時は多少の難色を示されたよ。現状維持が好ましく、リスクを冒す必要がない事は自分でも認識していたからね。

 

 

『大介は海外でウケなかったらしいよ……』
 これが今回挑戦して失敗した場合の避けるべきデメリット。

 挑戦の失敗は、好ましい現状を壊しかねないリスクがある事!

 

 そんなリスクを冒してまで、海外へ何しに行くのか?

 

 

 当時の言葉で言えば、ミラノコレクション、パリコレクションは略してパリコレ(2016年現在ではファッションウィークと言われる)の期間、多くの有名ブランドなどがファッションショーや重要な広告を大々的に行うの。モデルとしてこれに挑戦するわけ。成功すれば、世界を舞台にしたモデルに成り得るから。
 自分が挑戦を考えた理由は、モデルとしてのステップアップも含めて、ちょっと矛盾した個人的な心情もあったからなんだよね。まぁこれはまた後々で。

 

 

 挑戦の成功は、コレクションに出演する事!

 

 

 ★ 第一章 2

 

 

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